名も知らぬ者同士の共謀
天気は晴れ。気温も長袖Tシャツ一枚着てれば丁度いい位の清々しい朝。ちょっと早起きしたこんな日は出勤前に通りがかりのベーカリーも兼ねたカフェでカプチーノとオシャレな日替わりサンドイッチを頼み、ポケスタにアップして今日もキラキラ頑張るぞ⭐︎と英気を養う――
……そんな皆さまに対応すべく私は今、ゴーストポケモンもびっくりなドン底の気分でそのベーカリーカフェのレジを打っている。
値札の無い焼きたてホカホカなパンを白いお盆に乗せてレジに並ぶお客さんがみんな眩しくて煩わしい。いやもうお客さんだけでなくこの世の幸せな人達がみな妬ましくてしょうがなかった。
「お会計は現金になさいますか、LPにしますか?」
「じゃあLPで」
「はいありがとうございました! 次のお客様どうぞー!」
ドン底な心境はバレないように表面上は正反対の笑顔を取り繕って仕事に励む。何せこの店は店長と女将さん夫婦と私の三人しか従業員はいない。
テーブルシティの西側はずれ、ポケモンリーグに続くトンネル近くにこの店はある。我ながら味は格別だと思うのだが、競合のチェーン店まいど・さんどがリーグ入口階段すぐ脇に連ねている為、その存在は陰に隠れてしまい知る人ぞ知る店となっていた。それでも静かに過ごしたい人、いつもと違う雰囲気や味を楽しみたい人、少しゆっくりしたい人等にちょっとした穴場となっているようで、忙しい時は目が回りそうになる。
中でもやはり朝は一際忙しない時間帯だ。白い髭を生やした店長はひたすらにパンを焼き、女将さんは店長のサポートとドリンクの提供、私もドリンク提供とレジを兼任してどうにか回転している。そんな目まぐるしく働く最中にレジの対応悪さにクレーム一つでもあれば忽ちこの均衡は崩壊してしまう。兎に角笑顔! 笑顔! えがお! を顔に貼りつけて対応するのが私の仕事だ。
「……やっぱり今日のあのコ、おかしいわよね……」
「うん……また何かあったんじゃないかな、彼と」
私がひたすらレジを打ち、商品を袋に詰めてニコニコしていってらっしゃーいと言っている後ろで焼き上がったバケットを渡しにきた店長と女将さんがヒソヒソと話している。長い付き合いだからやはり二人にはお見通しらしい。……と言うか聞こえてんだからなそのヒソヒソ話。チクショウもうこの夫婦でさえも妬ましい爆発しろ。
何故こんなにもフラストレーション溜まってるのか……理由は単純である。私が昨日、物の見事にフラれたからだ。
付き合って一ヶ月、少しだけ早く仕事が終わったので驚かせようと連絡も入れず遊びに行ったのが悪かった(今思えば見事なフラグである)。ルンルンでドアを開けたら裸の男女がこんにちは。はい、浮気されてました。状況が理解できず、呆然とその場に立ちすくんでいると想い人であった彼から一方的に
「ごめん、別れよう」
と告げられアパートを追い出されてしまった。ショックで涙も出てこない。すごすごと自分の家に帰宅し、泣けずに溜まったモヤモヤをエルレイドと共に発散(筋トレ)したが中々気持ちは晴れなかった。付き合い始めた時から随分冷めた感じだったのは私が浮気相手だったからか? 昨日の女が本命? なんであの男に拳の一発もくれてやれなかったのか!
………思い出したら顔が強張ってきた。戻れ私の口角! すぐにカッとなってしまうのは悪い癖だ。笑顔笑顔……。
朝のピークと私の情緒が一時的に収まってきた頃、テーブルを拭きにテラスに出るとそこには明らかにお客さんの忘れ物であろうA4サイズの茶封筒が置いてあった。流石にあのピークの時間だとどんな人が座っていたかなんて覚えていられない。失礼ながら中身を確認する。なにやら学術的な…難しそうな書類ばかりだ。
「女将さん、忘れ物があったんですけど……テラス席左端、どんな人が座ってたか覚えてます?」
「う〜ん…ごめんなさい覚えてないわぁ。中は?」
「たぶん資料? ですね。……アカデミーの先生かな」
一息ついてた女将さんと話しているとアカデミーという単語にこの店の看板犬――バウッツェルのコゲ太郎――も反応した(コゲ太郎命名は店長である)。如何にも興味ありますという顔付きで尻尾を振っているので試しに茶封筒を鼻先に持っていってみる。すると、まるでわかった風に吠え始めた。
「あら〜おコゲちゃんてば誰のかわかっちゃったのぉ? 流石ウチの看板犬ね〜ヨシヨシヨシヨシ」
「本当にうちのコゲは天才だね! ちょうどアカデミーに納品する分も焼けたことだし、コゲ太郎の散歩がてら今日の納品お願いしても良いかい?」
「はあ……まあ大丈夫ですけど……本当にコゲ太郎の鼻、あてになるんですか? テレビとかで見るガーディみたいに訓練してるわけじゃあるまいし…」
女将さんによしよしされてお腹を出して尻尾を振っている様は普通の――野生を失った箱入りポケモンにしか見えない。正直私は懐疑的である。
そんな訝しげな私の目線に気付いたのか、コゲ太郎はキリッとこちらを向きお座りするとピシッと宙に『お手』をしてみせた。なんだそれ、賢さアピールのつもりか? 流石フェアリータイプ(偏見)。女将さんは、んもぅキャワイイー!! とメロメロだが私は知ってるぞ。こいつの狙いはアカデミー購買の店員さんから貰えるおやつであるということを。
テーブルシティ中央に鎮座している馬鹿でかい建物……アカデミーの購買にウチの店は焼きたてのパン――人気の惣菜パンや食堂のサンドイッチ用のバケット等を納品している。
この学校は年齢不問を謳ってる為学生の年齢層は幅広い。年齢層も広いとなれば生徒の人数もとても多い。もちろんウチの店だけじゃ賄い切れない為、他のお店も時間をずらしてこぞって納品に来る。工場等で作られたパンの方が大量発注するには安上がりなのだろうが有難いことに地域貢献もアカデミーの理念にあるらしい。
その地域貢献の理念に則り、近頃ではテーブルシティ中央のバトルコート広場で学園最強大会なるポケモンバトルも主催されている。生徒も先生方もみなレベルの高いバトルをしていて観ていて飽きないと常連が話しているのを聞いたことがある。
「おはようございま〜す、商品の納品に来ました〜」
「ありがとうございます! あら今日はエルレイドくんも一緒なのね、ちょっとお待ちくださいね〜今用意するんで」
用意する……とはコゲ太郎のおやつの事だ。ほら見ろ図に乗って『いえいえそんなつもりはないんですけど、でもせっかく用意して貰っちゃったんだから頂かないと逆に失礼ですよね?』なんて顔してる。
私の横で荷物持ちを手伝っているエルレイドを見ろ、姿勢も崩さずに一心になって……おやつをガン見している。いつの間に手懐けられてたんだお前……。
購買はアカデミー東側二階にあるが搬入口は生徒があまり来ない西側一階部分裏口にひっそりと存在し、そこからは購買の店員さんが運んでくれる。受領書(とおやつ)を受け取り今日の納品は完了である。
せっかくなので傍にあったベンチに座って頂いたものを与えた。私だって休憩くらいはしたい。まだ授業中だからだろうか、いつもまばらにいる生徒も今日は本当に誰も居ない。朝早くからずっと騒々しく働いてたから気を抜いたら眠ってしまいそうだ。
そう言えば今日はあまり眠れてなかった。理由はもちろん……眠気と共によみがえりそうになった昨日の記憶に蓋をして自販機で買ったブラックコーヒーを一気に流し込む。いつもは平気な筈なのに、今日のコーヒーは少し苦い。
空き缶を捨てようと立ち上がると忘れていた茶封筒の存在を思い出した。購買のお姉さんについでに聞いておけば良かった。
「ねえ本当にわかってんの?」
おやつを食べ終わりエルレイドの食べ残しを狙ってるコゲに聞く。元気良くバウッ! と返事はするものの、私はまだ半信半疑だ。
やはり異種間か。近くのポケモンより遠くの人間のが確実だろう。……遠回りにはなるがエントランス受付まで行って聞いてみるか……。じゃあ行くよ、とちゃんと完食したエルレイドと食べ残しを探してるコゲ太郎に声をかけると、何やら男女が言い争っている声が聞こえた。
……修羅場か? とも思ったが、女性の方が尋常じゃない程白熱している。野次馬的な出来心もあるが校内で暴行沙汰なんてあったら一大事だ。お得意様に何かあっては大変と気配を消して建物の影に入り声の主に近付く。
「っなんで、私の気持ち受け取ってくれないんですか!?」
「だからぼくはまず教師でして、生徒であるあなたとそういう関係は……」
「生徒である前に私は女です!! 男女の関係なら問題無いですよね!?」
「お、落ち着いてください、だから此処は学校で…、」
……うわやっべ、ガチもんの修羅場だった。ここは見なかった事にして静かに立ち去るが吉。私は空気ですよっと消した気配をさらに透明にして静かに後ずさる、と、
『バウっ!』
固まる人間様もお構いなしに言い寄られていた六角眼鏡の男に尻尾を振り続けるバウッツェル。絡む視線と露呈した関係ない第三者(私)。
えー……店長、女将さん………今後この駄犬……基、コゲ太郎……に行間、空気を読む……若しくは人間の機微を捉える、といった行動を心がける様に躾し直してもらえませんか?
「あ、その書類……」
「う、ウチのワン公がお邪魔しちゃって、ごめんなさ〜い、すぐに立ち去るん「い、いや〜丁度良かった! 届けてくれてありがとうございます! ついうっかり『ぼくの部屋』、に忘れてたんですよねえ〜」
「え…?」
「はい?」
何の話? 駄犬を抱えて逃げようにも会話に巻き込まれてしまった。状況に追いつけない私やヒートアップしていた女性もお構いなしに彼は私の肩を抱き寄せ、さっきまで押されてた相手に対して説明するように会話を続ける。
「ほらこの通り、ぼくらこういう関係なので尚更受け取れないんです。……あなたにはぼくなんかよりもっと素晴らしい人がいますよ」
「いやあの「じゃ、じゃあ授業の準備もあるのでこれで!!」
「先生!?」
呼び止める女性の声も聞こえないふりをして私の手首を引っ張り駆け出す六角眼鏡。後から慌てて追って来るエルレイド。片腕に太り気味のバウッツェル(公式重さ14.9kg)を抱えながら走るのはさながら地獄の徒競走のようだった。
西側校舎から業者用階段を使い学校階下から町外れの路地裏に着いた頃にはお互い息も絶えだえだった。心配したエルレイドが背中を摩ってくれている。息もそうだが、腕も、ヤバい。
……帰ったらあのベタ甘夫婦にコゲ太郎のダイエットを進言しなければいけない、必ず。
「……っはぁ、げほっ…な゛、な゛んな゛んですか、……っていうか、…だれ、? っげほ」
「ゲホッ…っ、す、すみませ、ゲホッ…はぁ、ゲホッ…巻き込んじゃっ、て…」
六角眼鏡は白衣が汚れる事も構わず壁にもたれかかりそのまま地べたに腰を着く。コゲ太郎は相変わらず彼の近くで尻尾を振っている。
特徴的なツートンカラーのボサボサ頭にヨレヨレの服、身なりにあまり気を使ってはなさそうだが確かに顔は整ってる部類なのだろう。生徒と先生の恋だなんて少女漫画みたいで憧れるのはわかる気がする。歳の差だってそこまでなさそうな成人年齢層っぽい生徒だったし、断らずにオッケーすれば良かったものを……何がいけなかったのだろうか。
「っふ〜、……なんでよりにもよって…」
「本当に、すみません……ちょうどその書類探してたところで捕まっちゃって思わず……」
「……書類ってこれ? ウチの店に忘れられてたからとりあえず持ってきたんだけど……正解だったみたいで良かった。はいどうぞ」
「ありがとうございます〜」
視界の隅でドヤ顔してるバウッツェルが居るような気がするが触れないでおく。
「それで? 何でこんな下手な三文芝居までやらかして逃げ出したんですか? ……ちょっと不義理じゃありません?」
「……こういう事は初めてじゃなかったんですけど、彼女なかなか頑固なようで………少しだけ強引な手を使わせてもらいました。助かりましたあ本当に」
「少しだけ……ってかなり強引でしたよ」
「いや〜……正直、あの場で喰われそうだったんで…」
どこか遠い目をして呟く彼は相当参ってるようだ。思ってたより乱れてるのかアカデミーって……。
「まぁ良かったですね、色々無事に済んで。じゃあ私は忘れ物も渡せたんでこれ、で…」
よくわからないけど困った人を助けて忘れ物も渡せてミッションコンプリート! はいさようなら。で良かったのだ。考える前に動けという、よろしくない私の習性が出てしまうまでは。
路地から見える大通り、昨日の女と歩いてる私をふった×××××(暴言)が目に入ってしまった。
「ちょっ、待てええぇえっ!!!!」
突然声をあげた私に驚く六角眼鏡を置いて路地から走り出す。×××××は少し動揺してたがすぐに持ち直し、心底面倒臭そうに(これがまたむかっ腹がたつ)こちらに向き直った。
「何? もう話す事なんてないんだけど?」
「あんたがなくても私はある。……浮気してたの?」
「浮気? 違う違う本命。お前が遊び。ていうか最初からそうだって言ってたじゃん。何今さら蒸し返してんの?」
「なんで開き直ってんの…? 遊びだなんて一度も言ってないし」
「しっつけえな、勝手に世話焼いて勝手に勘違い彼女認定したのはお前だろ。迷惑なんだよ」
「…っ、」
往来する人が注目してきてる。あーあ、もうなんでこんな奴と付き合ってたんだろう。浮気されてた事もショックだったけど最初からそうだったなんて見る目無さ過ぎ……。
涙が滲んできたが、こんな奴に泣かされたくないと唇を噛み締めて我慢する。指が食い込む掌も痛い。
悔しさに俯いて言葉を探しているとばさっと頭に何かが掛けられた。白衣だ。
「差し出がましいようですが、ぼくの彼女さんに何か用ですかあ?」
「誰だお前……」
「失礼しましたあ。ぼくはジニアといいます。彼女の本命さんでえす」
この場にそぐわないフワフワした口調で堂々と嘘を吐く。彼の背後ではエルレイドが腕を構えていつでも技を出せるように待機し、その足下ではコゲ太郎が唸っていた。
「すみません、お取り込み中ですけどぼくら用事があるんでこれで失礼しますねえ。……今後彼女に用事がある際はぼくも一緒ですから」
さっきのアカデミーの時と同じように私の手首を掴んでそのまま歩き出す。頭から肩に落ちた白衣が温かかった。
再び街はずれまでそのまま着いて行くとベンチに座らされ、席を離れたと思ったら近くの自販機で買ったのだろうココアを渡された。
「余計なことしてすみません…」
「いいえ……こちらこそみっともないところお見せして、すみませ、ん…ぅ、……うぇ〜っ」
我慢していたものが決壊してしまった。悔しくて悲しくて、そしてついさっき知り合った彼の優しさが沁みてしまった。ぼろぼろと溢れる涙で手元が濡れていく。
「ご、ごべんな゛ざい………なんか、…ぅ、く、悔じぐて〜」
「えっと、事情はよくわからないですけど……思いきり泣いて良いと思いますよ。溜め込むよりは」
「ゔ〜っ」
私が泣きながらぽつぽつと経緯を話すと、そうですか、とか、酷いですね、と相槌をうって話を聞いて背中をさすってくれる。教職者だからだろうか、話を聞くのが上手いと思った。
「ありがとう、ごさいました、ココアも…」
「いえ、ぼくも助けてもらっちゃったのでお互い様ですよお」
「……うん、っよし!」
両手で頬を叩いて気合いを入れる。泣いたら少しスッキリした。元気を取り戻したのがわかったのか、それまで大人しくしていたコゲ太郎も足下で尻尾を振り出した。
「えーとジニア、さん? 本当にありがとう。良かったらまたお店に来てください。コーヒーくらいなら出せますよ」
「それは楽しみだなあ。たまに寄ってたんですけど、まさかこんな縁ができるなんて、わからないものですねえ」
「私も今日まで気付きませんで……あ、やば! まだ仕事中だった!! ごめんなさい、またお店に来た時ご馳走しますね!! じゃあまた!!!!」
時計を見るともう十時半を過ぎている。今度はランチの準備があるためまた忙しくなる時間帯だ。申し訳程度に謝り席を立つ。流石にもうバウッツェルを持ちながらは走れないのでエルレイドにお願いした(サイコキネシスで軽々と持ち上げていた。さっきもそうすれば良かった)。去り際に彼が何か言い掛けていた気がするが、所在はわかるのだから大丈夫だろう。
彼の白衣を借りたままだと気付いたのは、再び息を上げながらお店に着いて女将さんに指摘されてからだった。