短編集

はた迷惑な大人へ告ぐ


「……相談があるの」
 普段話せばバトル、バトル、バトル……の我らが戦闘狂……基、生徒会長が、その重い口を開けた。いつも快活な彼女とは違う雰囲気に自然と背筋が伸びてしまう。
「なんだよ珍しいな。ネモが相談……? バトルの事ならハルトに聞けよ。俺は専門外ちゃんだ」
「うちも。ネット関係ならまだ力になれるかもだけど……」
 放課後の空き教室。オレンジ色に染まる教室で特に何をするでもなく集まっていたいつものメンツに、ネモは白い箱を紙袋から取り出し机に置いた。
 どこか見覚えがあるその箱は、生徒会への匿名ご意見箱だ。今時珍しい手書き用の……スマホロトムを所持していない人でも投函できるようにアナログ式になっている。だいたいこういったご意見箱に入っているのはどうしようもないクレームや、生徒の手が及ばないような無理難題を押し付ける冷やかしが入っていたりすることが多い。
 しかし今、生徒会を取り仕切っているのはこのネモだ。真面目な上に生徒や先生からの信頼も厚く、また行動力とチャンピオンクラスという実績ある彼女にそんなことをするような輩はそういない。いたとしても彼女が全力で対応するだろう。
 それじゃあいったいなんなのか。
「最近投函される相談についてなんだけど……わたし独りじゃどうにもできなくて」
「ネモがそんな弱気になるなんて……」
「どんな内容なんだよ……」
 箱を開け、生徒会が用意した少しひしゃげた所定の投函用紙を取り出す。
「……うん。やっぱり今日も入ってる」
「今日? 連日入ってるってこと?」
「そうなんだよ……しかも日に日に増えてきてる」
「勿体ぶらないで教えろよ」
「あのね……」

 さて、我らが通うグレープアカデミーは老若男女……多くの生徒が通い、パルデアの未来のため日々己を研鑽している(ちょっとオモダカさんの言っていることを真似してみた)。己を研鑽……と言ってもその中身は人それぞれで、名物の課外授業で得た経験を宝物と称すように個人の主体性に重きを置いたわりと自由な校風だ。
 そのボクらを支えるのに不可欠なのが各分野におけるエキスパート達……先生方の存在は非常に大きい。壁にぶつかった時、苦しい時そんな時、みんな優しい言葉で丁寧に説明、助言してくれる(中には己の探究心を隠せない先生もいるが、そこはご愛嬌ってものだろう)。
 ネモから相談された内容はまさにその、とある先生に関わるものだった。それもボクらの担任の……
「そういえば……中間テストでみなさんにヒミツで書いてもらったアンケート、何故かクラベル先生にバレてて怒られちゃいましたあ……。なんでもぼくの顔色で隠しごとしてるのわかったとか」
 その大きな口を文字通りへの字に曲げて不満を言う我らが担任、ジニア先生。パルデアのポケモン図鑑アプリを開発したり、ウミディグダやコレクレーの研究などそのに違わぬ実績を持つ立派な先生だ。
 授業を聞きながらじっ……とその様子を観察してみた。
「今日はポケモンの進化……そう、進化についてです」
 授業自体は難しくない。基礎中の基礎の内容だ。これも先生がボクらにもわかりやすいように配慮しているのか、言葉を選んでいる印象がある。ちょっと(?)服装はだらしないけど、優しくて真面目な実に良い先生だ。
「みんなで一緒に言ってみましょう、進化キャンセル……せーのっ!」
「しーぼた、「「「Bボタン!!」」」……」
「あれれ? ハルトさんだけなんだかお答えが違いますねえ」
「すみません、昨日久しぶりにロク○ンを引っ張り出しちゃいまして」
「そうですかあ、随分と懐かしいもので遊んでたんですねえ」
 問題を間違えても笑顔で訂正、ふざけた解答でもにこやかに受け流してくれる。
 先生自身がクラベル校長に叱られているのを見たこともある。その時もなぜ怒られているのかを理解していないのかどうなのかわからないが、にこやかに「すみませえん」と謝っていた。
 とにかく、それ程までに感情の起伏が穏やかな優しい先生なのだ。校長先生はわからないが、生徒からどうこう言われるような先生ではない……というのがボクらの認識だった。――とある一部を除いては。
「はあい、じゃあ今日の授業は終わりでえす。皆さん次の授業も頑張ってくださいねえ。あ、ハルトさんはちょっと残っててもらってもいいですかあ?」
「……は〜い」
 流石にふざけ過ぎただろうか、名指しで呼び止められてしまった。
 心配そうにこちらを見やるネモに、先に行っててとジェスチャーすると荷物を持ち、先生の待つ教卓に向かう。この際だ、例の件についてつついてみるのも有りかもしれない。
 先生はいつものようにタブレットで何かを確認している。ボクは緊張しているのがバレないように、少し深く息を吸った。
「先生、なんでしょうか?」
 目線を上げて、またいつもの笑顔でいつものように先生は口を開いた。
「すみません、ちょっと今日のキミの授業態度が気になっちゃいまして」
「……ごめんなさい、ハイ○ルを救うのにオカリナを度々吹いてて」
「ああ、なるほど……それでCボタン……じゃなくってえ。……なんだか今日、すっごく視線を感じてたんですよねえキミから。逆にボクがハルトさんに何かしちゃったのかなあ、って。……何かありましたか? 先生には……言いづらいことでしょうか?」
 やっぱり良い先生だなあ。まだ残っている他の生徒に聞こえないように小声になってボクに気を使っているのがわかる。
 遠目で見ると野暮ったい格好に見えるが、近くに来ると背も高くて顔も……たぶんイケメンの類だ。
「いいえ、大丈夫です。まぁ気になることはあるんですけど」
「なんですか? 気になることって」
 こうなったらもう直接聞いてみてしまおうか。
「失礼します、ジニア先生いらっしゃいますか?」
 ボクが口を開けるのと同じくして、他の生徒の話し声で賑やかな教室に鈴のような女性の声が通った。途端に生物室入口に視線が注がれる。――あの人だ。
「ああ、どおもどおも。いったいどうしたんですかあ?」
「……その、先月貸出した資料の返却催促と、言われてたカロスの伝承についてピックアップしたものをお渡しに来ました」
「うわあ、期限ってもう過ぎてましたっけ。すみません準備室の方かなあ……?」
 彼女はエントランスホールにもなっている図書館の司書さんだ。先生だけでなくボクら生徒にも優しく親切で、図書館に通っている生徒なら顔馴染みらしい(ボクはアカデミーから出てあちこち課外授業に励んでいたので最近やっとそれを知った)。
 実は槍玉に上がっていたのは先生だけではない。彼女もだ。この二人こそ、あの御意見箱問題の当事者なのである。
 彼女はボクらの方に歩み寄ると後でエントランスまで持ってきてくださいと少し呆れたような顔をして、持っていた紙の束からクリアファイルを取り出した。
「こちらが、お求め資料の一覧になります。……来週の蔵書点検でまた増えるかもしれませんが……」
「そうですかあ。……わざわざここまで来て頂いてありがとうございます。お昼休みには必ずお返ししますねえ」
「……期日を過ぎてるので早めにお願いします」
「はあい」
 司書さんからジニア先生にファイルが手渡されている……ボクは特に取り留めのないそのやり取りに拍子抜けしていた。
 なんだ別に普通じゃないか。みんなこの手の話題になると過剰反応し過ぎなんだ。まぁ、オトナの男女二人……何も起きないはずもなく……なんて気になるもんね。難しいそういうお歳頃だからしょうがない。ネモにもこれはほっといて良いと報告してやらないと……
  ――しかしそれはボクの勘違いだったとすぐに認識をひっくり返されることとなる。
 ジニア先生がクリアファイルを受け取ったその直後、バサリとそれは床に落ちた。両人は不自然に手を出し固まり、その顔を真っ赤に染めている。
「すっ、すみません!! わざとじゃないんです!! そんな、あなたにふ、触れようだなんてっ!!」
「い、いえっ!! こちらこそ変な渡し方しちゃってっ! ごご、ごめんなさい!!」
 二人は謝りながら床に散らばってしまった紙を拾うのにまた少し……ほんの少し、指先を掠めるくらいの接触をして同じ問答を繰り返し大騒ぎしていた。
  ……なるほど、ようやく理解した。ネモの言っていたのは、こういうことか。
『あの二人をどうにかしてくっつけて欲しい』

 証言者一人目、元生徒会長P氏。
 ――ジニア先生と司書さんの交際について? う〜ん、あくまでプライベートな話だし、ボクら生徒が口を出すものでもないんじゃないかなあ……。たしか校則でも先生方の異性交友について言及してるようなのもなかったし……え? 見てていたたまれない……? それは……う〜ん……
 証言者二人目、医務室の天使Mりん。
 ――だからあたしも何度も言ったってば。ジニア先生にも、あのコにも! なのに二人して『だって勘違いかもしれないし……』で、毎回話は終わり。それがずっと。ずうっっとだからこっちだって匙投げたくもなるっての。でも業務に支障は出てなくてさ。だから最近は先生達の間でももうどうにでもなれって空気で溢れてんの。何とかしてやってよあいつらのこと。
 証言者三人目、我らがボス校長Cラベル。
 ――ジニア先生とあの司書さんが、ですか……? これは失礼致しました。なにせ初耳なものですから……そうですか、ジニア先生が……おめでたいことです。え? 交際どころかまだ手も繋げてない? ……風紀を乱していないのなら、私たちは見守るばかりですよ。お二人の幸せを願いましょう。

「……以上。先輩や先生方はこう仰ってるけど、改善して欲しいという意見が寄せられている以上、生徒会としてどうにかしなくちゃいけないとわたしは思ってるの」
 その日の放課後、二度目の作戦会議が始まった。机を合わせて島を作り四人で向かい合う。進行はネモ、書記はボタン。
 ネモはもちろんだが今回はボクも俄然やる気に満ちている。あれを毎日見続ける側の立場を考えると、正直、こう……頼むからどうにかしてくれ……っていうやるせない気持ちでげんなりしそうだからだ。
「でもこれって本当にオレらが動いてどうにかなるもんなのか? 別にほっといてもいいんじゃね?」
「いや、あれはペパーも実際現場で見たらわかるよ……。もどかし過ぎて言葉も出ない」
「共感性羞恥……っ! うちは話を聞くだけでも耐えられん……っ!」
「……まあオマエらがやるってんならオレも協力するけどさ。それで? 何か策でもあるのかよ?」
 チャンピオンクラスが二人もいて無策でバトルに挑もうなど毛頭思っていない。……が、初恋でさえどんなものかわかってないボクらの色恋知識は、付け焼刃で叩き込んだボタン所有の少女漫画のそれしかない。
 とりあえずまずは機会と場所を提供し、なんやかんや後押しすればなんとかなるのではないのだろうか、なんて楽観的に構えていた。
「おいおい……それって何の作戦ちゃんにもなってないんじゃ……」
「大丈夫! うってつけのヤツがあるの。見て!」
 自信満々のネモによって開かれた画像は来週の図書館蔵書点検のお知らせだった。そういえば司書さんもそんなことを言っていたっけ。
「うちの図書館ってかなり規模が大きいじゃない?だから先生たちもそうなんだけど、私たち生徒会もお手伝いに行くの。そこで、ジニア先生と司書さんを二人きりにできないかなって」
「それはいい考えかもしれないけど、当日誰がどう動くかなんてわからなくない?」
「あっ……そっかあ……」
 また振り出しに戻ってしまった。やっぱり所詮は恋愛素人ウッウの衆……ただ傍観を窮め、あのもだもだもだもだした大人を見守るしかないのか。
 ……なんだか考えるのも面倒くさくなってきた。いっそのこと実力行使で事故を装ってチューでもさせてしまえば万事解決になるんじゃないか。
 ネモとペパーは頭を抱え、ボクは大きくため息を吐き、机に突っ伏す。少しの沈黙の後、静かにボタンが呟いた。
「……わかるけど」
「なにが?」
「当日の先生たちの動き」
「「「え!?」」」
 はいこれ、とボタンはなんでもないようにノートパソコンの画面をみんなに見えるように向きを変えた。
「ハッキングしたら出てきた。当日の手順データと人員配置。……これでどうにかならん?」
 ボクらの……思春期生徒達の行く末に、一筋の光明が差し込んだ。
 作戦決行の日、放課後。その日の授業も終わり、図書館職員に加えアカデミーの職員と生徒会……そのボランティアとしてボクらが加わった一同がエントランスホールに集合した。
 図書館長の説明を聞き、それぞれランダムに振分けされたグループ(ボクらの手によって完全ランダムではなくなったのだが)で各自持ち場の書籍の整理点検を行う。三人で一班となり端末機で読み込み整理整頓、本の状態確認をしていくのがメインの単純作業ではあるが、何せとてつもない蔵書量だ。ニャオハやニャースの手がいくらあっても間に合わないのではないのだろうか。
 加えてボクには重大任務が課せられている。
 そういう星の巡りだったのか、アルセウス神の導きか……グループ編成に手を加える際に決めた、この世で一番公平な方法(ジャンケン)でボクは見事に惨敗。一番面倒で厄介な役どころに納まってしまったのである。
 ――ジニア先生と司書さんの班、三人目のメンバー入り……要するに二人の影のお目付け役、あわよくば空気作り職人へと変身する実行役だ。
「お時間取っていただきありがとうございます。今日はよろしくお願いします」
「いえいえ、これも仕事ですからあ」
「よろしくお願いします」
 ……ここは『あなたと一緒に過ごせて嬉しいです』くらい言っちゃえよ先生! と喝を入れたくなったがまだ作業も始まったばかりだ。まずは敵情視察。ネモも言っていたが、相手を知ることこそバトル勝敗のカギを握っている。弱点、癖を見極めてその時が来るのを待つのだ。
 ボクらが割り振られたのは理系分野の書籍が並んだ、エントランスホール一階の一画のコーナー。埃の被った本が積まれた階段下の書籍も含まれるのだが、まずは現行読まれている棚の方から作業していくことになった。
「あれ? ハルトくん、このシリーズの五巻知らない?」
「う~ん? こっちでは見てないですね」
「あ! ぼくそれ見ましたよ……こちらでえす、はいどうぞ」
「ありがとうございます」
 事前調査の通り、仕事中は至って普通の態度だ。これが大人というものなのだろう。公私をわきまえて……
 いや、感じる……ボクを蝕むようにじわじわと、ひしひしと……ほわほわしたこの甘ったるい空気を。
 発生源の二人――司書さんは受け取った本を持って頬を赤らめ微笑んでいるし、先生は平気そうにまた作業を再開しているがその耳は赤くなっていた。ボクはこの二人の間に挟まれてひたすら手を動かしているわけなのだが、許されるものなら今すぐこの場で絶叫してどうにかなってしまいたかった。
 なんだこれなんで関係のないボクまでこんな恥ずかしくなってしまうんだ……!? もしかしてこれが、ボタンの言っていた……共感性羞恥!?
 あまりにもいたたまれなさすぎる。ちょっと離脱して気持ちを入れ替えよう。
「すみません、ボクちょっとお手洗いに」
「そ!? れは、奇遇ですねえハルトさん! 先生も一緒に行きまあす!」
「え!? 嫌です! 先生はせっかくなんですから司書さんと二人で居てくださいよ!」
「ななななな、なにを言っているんですかあ! そんな、二人きりだなんて!」
「そっそうですそうです!! むしろ行ってきてください我慢は良くないから!!」
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて……行きますよおハルトさん!」
 ええぇえぇぇ……なんだこれなんでボクは担任と仲良く二人でトイレに行かなくちゃいけないんだ?誰か突っ込んでくれよと先生に引き摺られながら要救助の視線を通りすがりの親☆友三人に送ったが、軒並みシカトされてしまった。
「いやあ、驚きましたあ……まさかハルトさんが抜け出そうとするなんて……」
「いや驚いたのはこっちですからね。なんでわざわざ与えられたチャンスをみすみす逃すようなことやってるんですか。先生頭いいのに頭悪いんですか」
「し……辛辣ですねえ……」
 男子トイレの洗面台に寄りかかり、腕を組んで先生を睨んだ。こんな合コン中の作戦会議をするOLのような状況をまさか担任と再現することになるなんて……きっとゴチルゼルでも読めない未来だっただろう。
「先生は、あの司書さんが好きなんですよね?」
「実は……その、はい……」
「今更『実は……』とかもういいんで。もうそれは周知の事実なんで」
「なんだか情けないところ、見られちゃってます?」
「そりゃもうバッチリと」
 これまでの鬱憤を吐き出すような態度と言葉でそれを表すと先生は参ったなあと困った顔をして頭を掻いた。
「……先生、あの人の前にいるとなんだか『あやしいひかり』を受けてしまったような感覚になるんです。でも不思議なことにそれも嫌じゃない……むしろもっと近くに……一緒に居たいだなんて思っているのに」
 特性『マイペース』のくせにこんらんなんてするんですね、と言いそうになったが我慢した。
「そう思っているならそうすれば良いじゃないですか。セイジ先生も伝えることはimportantって言ってましたよ」
「そ、それができたらいいんですけどぉ……」
「しっかりしてください! きっと司書さんも待ってますよ! いつもの『マイペース』を取り戻してくださいジニア先生!!」
「ハルトさん……」
 自分で言っておいて何だが……なんだこれ?
 ボクは男子トイレで何を応援しているんだ?
 そしてこんな熱の無い言葉になんで先生は感銘を受けたような顔をしているんだ?
「マイペース……特性……そうでした……ありがとうございます、ハルトさん。なんだか前に進める気がしてきましたあ!」
「は、はい! それは良かったです」
 なんだか想像以上に火をつけてしまった。ってこんなにハツラツとすることあるんだ……。これはこれでなんだか不安だぞ? 大丈夫なのか? ……まぁこれぞ特性『マイペース』なのだろう。
 エントランスホールに戻ると司書さんはボクらに背を向けて作業を続けていた。背伸びをして上段の棚に手を伸ばしている。すかさずジニア先生は静かに近寄り後ろから軽々と目当ての本を取った。
「これですか?」
「あっ、ジニア先生っ!? あ……ありがとう、ございます」
「いいえ、どういたしましてえ」
 カーット!――いいよいいよぉその自然な感じ! その空気のまま行っちゃおうか!
 背後から目当ての本を取る……まさに漫画のような演出にボクは脳内でメガホンを叩いた。気分はプロデューサーだ。
 さっきのトイレでの会話で先生の意識の仕方も変わったのだろうか。二人の間には相変わらず花でも咲いたようなホワホワした空気があるが、トイレ以前までの焦った雰囲気は落ち着いた気がする。先生の空気に感化されてなのか、司書さんも顔を赤くしながらも僅かながら肩の力が抜けたようだ。
 このまま良い雰囲気を保って貰おうと思ったのだが、タイミング悪くジニア先生にクラベル校長から呼び出しがかかってしまった。なんでも研究資料として貴重な文献が見つかったんだとか。
 すぐに戻りまあす、と言って校長の元へ歩いてく先生を司書さんはにこやかに手を振って見送ると、空気が抜けたように大きなため息を吐いた。
 ……今度はこの司書さんと二人になってしまった。
「もう……どうにかなっちゃいそう」
 そうですか、たぶんもうどうにかなっちゃってますよ……とは思ったがこれも言わずに飲み込んだ。エラい。
「ハルトくん、その……」
「なんですか?」
「さっき、ジニア先生と二人で……その、なにを……は、話してたのかなぁって」
「……」
「あっ! その、言いたくなければ別にいいの! 気にしないで!」
 第二回、合コン中抜け作戦会議。
 別に話したくない訳ではない。ただ、『むしのしらせ』に身体を強ばらせているだけだ。
 これは間違いなく、泥沼に嵌っている。完全に、二人の間に挟まれて逃げるに逃げられなくなっている……気がする。
「なんだかジニア先生の前だと緊張しちゃって……動悸もすごくなっちゃって、上手く話せないの……情けないんだけどね。ひょっとしたら変な人だって思われてるかも……」
「……たぶんそれ、ジニア先生も同じだと思いますよ」
「え?」
「司書さんとお話すると、先生もこんらん状態になっちゃうんですって。でもそれでもいいからもっと一緒に居たいって言ってましたよ、ジニア先生」
「……」
「もっと先生をよく見てみてください。司書さんのことをどう思ってるか……すぐわかっちゃいますから」
 泥沼だとわかっていても、口を出さずにはいられなかった。いや、トイレで先生の話を聞いた時点で既に手遅れだったのだ。
 この学校に転入してから多くの困難に直面した。戦闘狂のお隣さん、不登校の不良集団にその親玉、唯一の家族であるパートナーの救済援助…………巻き込まれたとも言えなくもないが、そのおかげで大切な友人が三人もできた。もしかしたらボクはそういう星の下に生まれてしまったのかもしれない。これもまたきっと同じようなものなのだろう。
 こうなったらもうこの二人にも今日中にどうにかなってもらおうじゃないか。
「よし! じゃあ次は階段下のスペースにかかりましょうか。あと少しです、がんばりましょうね!」
「はあい。えいえいおー! ですね」
「おー!」
 階段下の暗がりには棚に並んでいるものよりもっと年季の入った分厚い専門書とダンボールに入った古い雑誌の類が積まれていた。地続きになっている床は綺麗に掃除されているが、書籍やダンボールの表面にはうっすらと埃が積もっている。
「少し狭いですが、数があるので根気強くやっていきましょう。あ、天井も低くなってるのでジニア先生は気をつけてください」
「はあい、わかりましたあ」
 さあ、くっつけるにしたって、どうやってくっつけよう。
 意気込んではみたものの、所詮自分は年端も行かない子どもである。男女の恋愛の機微を察するのも容易ではないというのにどうしたらいいものか……。
 ボクは作業の手を止めず、チラリと横目で二人の様子を伺った。並んで作業をする先生たちも順調に……いや、ジニア先生の手際が少し悪い。
「キミは、その、す……す、……ス、コヴィランの育成について、どう思いますか?」
「へ? スコヴィラン……? 進化前のカプサイジならパートナーにしてますよ。ちょっと気が強いですけど……よく前歯を料理に入れてます」
「そ、そうだったんですねえ。……辛いお料理がお好きなんですかあ?」
「はい! 育てられている環境の変化で前歯の辛味も微妙に変化しているみたいで」
「それは……興味深いです。今度ご馳走になってみてもいいですかあ?」
「もちろんです。……あのっ! 今度、ランチとか、その……一緒に、どっ、どうです……か?」
「も、もちろんです!」
……あれ? これはもしかして何もしなくても良い雰囲気になってるのでは? あとは若いお二人で……ってことでしょこれ。
 これで上手く行けばギクシャクする二人を見て羞恥に心を掻きむしる人の被害は減るという訳だ。きっかけを与えることができただけでも上々、花丸、百点満点……。
 とにかくこの場から離れたいのだが、気を利かせて……なんていうのは建前で、知り合い同士の事情を聞いてしまうのがなんだかこそばゆい……というのがボクの本音。と言うかまだボクは未成年な上、ジニア先生のクラスの生徒なんだってば。担任のこんな事情を見学させられるなんて、これはたぶん下手すれば校長案件。
「あれれぇ? なんだか分類の違う本があるぞお? 先生、司書さん、ちょっとボクこの本片付けて」
「「いいから、ハルトさん(くん)はここにいてください」」
「……」
 なんで?
 薄暗い階段下、何かを決意したかのように向かい合う二人に何故かボクも加わり三角形の陣を取る。いや、本当にここにボクの存在要らなくない? もしかして喋る恋愛成就のお守りだとでも勘違いしているのではないのだろうか。
 下手な激励を送ってしまったことを再び後悔している中、先に動いたのは先生だった。
「その、……す、す……ストリンダー……じゃなくて、」
「「……」」
「す、……ストライク……でもなくって、」
「「……」」
「す……ナバア……違う違う!」
 固唾を飲んで司書さんが見守る中、顔を赤くした先生が何を言わんとしているか、流石にどんなに鈍くてもわかるだろう。巻き込まれているボクももちろん理解した。理解したが納得はしていない。早くこの場から解放して欲しい……。
「……っ、す、き……です……キミのことが! すきに……なっちゃいました……」
 『す』で始まるポケモンが尽きようとした時――又はボクのフラストレーションが爆発する直前、ようやく先生は目的の言葉を言い終えた。
「……っはい!  私も……っ!」
 ジニア先生は言ってやりましたよ! とでも言うかのようにボクを見ているし、司書さんは司書さんで聞きました!? とキラキラした目でボクとジニア先生を交互に見ている。二人とも笑顔で、幸せそうだ。
 おめでとうございますこれで晴れて好き同士じゃないですか、と祝福したい。その気持ちはあるのだが、こんな茶番に付き合わされていたこっちの身にもなって欲しい。
 ボクは無言でオリーヴァをボールから出して二人に告げた。
「おめでとうございます。もう二度と、巻き込まないでくださいね」
「「え?」」
 オリーヴァはその長い腕で二人の頭を押さえつけ、強引にその顔と顔を重ね合わせた。
 悲鳴にならない悲鳴が重なったその唇から聞こえた気もするが、それはたぶん気のせい――。

 後日、御意見箱の投函は落ち着きボクらに再び平穏な学校生活が訪れたのだが、同時に新たな噂が生徒の間で飛び交うようになる。
 放課後、図書館階段下の暗がりでキスをするとその相手と結ばれる……オリーヴァがいると更に効果的、とボクはそれに付け加えておいた。