流されてしまう休日
穴があったら入りたいが、その穴は針の筵《むしろ》です。そんな心境。
「――なるほど。要するに我が愚妹の窮地を救い、治療に付き添った挙句にもらってしまったと言うわけか」
「もらってしまったと言うか、被ってしまったと言いますかねえ」
「……」
「…その後もいい歳の男女が一夜を共にしているのに何もなかった……と?」
「はい、残念ながら……」
兄の眼がギラリと光る。余計なこと言うんじゃない。
「ほう……だがそれでもキサマは帰らなかったのだな。……やはり”あわよくば”、を狙っていたんじゃないか?」
「ううん……そうですねえ、こちらから言わせてもらえば、帰してくれなかったんですよねえ家に。物理的に離してくれなくて。それで今朝になってやっとシャワーを使う許可を得たんです~」
「……」
場所を移動し、私、コルサ、ジニアの3人でリビングのテーブルを囲んで行われているのは酔っ払い断罪の会……ではなく、ただの昨夜の状況説明である。
もうやめてくれ…………ただでさえこの事実(酔い潰れて醜態を晒した)を受け入れるだけでもしんどいのに、身内にそれを同席説明だなんてこれなんていう拷問?
「……だそうだが、この青二才の言うことに間違いはないんだな?」
「………間違い御座いません……」
「じゃあその芸術性の欠片もないほどに酷い状態なのはほぼキサマの自業自得、というわけなのだな?」
「う、ぅう、ううるさいな! 傷口に塩を塗るようなこと言わないでくれる!? 身支度整える時間もないまま兄さんが来ちゃったの!!!!」
「なら結構!」
言いたいことを言い終えたのか納得したようにコルサは優雅にコーヒーを口に含んだ。そして彼を真っ直ぐ見て続けて口を開く。
「先程は無礼な態度を取ってしまい失礼した。今回は随分と妹が世話になったようだ」
「いいえ〜好きでしてることですからあ」
「ほう……? 改めて聞くが、それはどういう意味「あぁ〜! 兄さんってば、今日はハッサクさんと、なんか…えっと、なんか今後の授業について話があるって言ってなかったっけーっ!???」
「ム、確かにそのつもりだが……まだ話は終わってないぞ」
「良いから! 私もいい加減に顔洗いたいし、着替えたいし、ポケモン達のケアもしてないから!!!!」
だから今日はさっさと帰れと圧をかける。これ以上何か勘繰る前に退散して欲しい。ありがたくも、この妹思いの兄は(納得はしてなさそうだが)滅多にない私の反抗(?)に渋々腰を上げてくれた。
「……仕方ない。今日はハッさんと妹の顔に免じて退かせてもらうが、いいか青二才、私の目が黒いうちは、手を出すんじゃないぞ」
「はあい、わかりましたあ」
「いいから早く行って!!」
何処ぞの悪役のような捨て台詞を残した兄を半ば無理矢理部屋から追い出す。ようやく嵐が過ぎ去った。が、まだ私には仕事が残っている。そう……この男の処遇についてだ。早々に追い出したい気持ちはあるが、なにぶん昨日やらかした仕打ちを考えると無碍に扱うこともできない。それに気になる事もある。
「良かったんですかあ? あんな追い出すような言い方しちゃって」
「これ以上話してると余計に拗れそうだったので良いんです。それより……物理的に離さなかったって………どういうことですか…?」
「そのまんまですよお。酔い潰れた後、タクシー降りてこの部屋まで運んだんですけど、ソファに降ろそうとしても離してくれなくて。なんだか勿体なかったのでそのまま朝までずっと横抱きのまま寝ちゃいましたあ」
聞かなきゃ良かった。
「いや、あの………ほんとすみませんでした…………暫くアルコール断ちするんで、許してください………」
「えぇ〜そんな言う程気にしてないですよお。むしろ役得役得。こないだの話、覚えているでしょう?」
ソファに腰掛けたまま覗き込むように上目遣いで聞いてくる。コイツ、成人男性のくせに『あざとい』を理解している…。
「覚えては…いるけど……」
「なら良かった。う〜ん………それにしても……ずっと同じ格好で寝てたから、身体が痛いなあ。よく眠れなかったしなあ。今日はこれからどうしようかなあ……?」
「………ゴヨウボウハ、ナンデスカ…」
出された要求は二つ。
昼まで寝かせろ、起きたら夕飯まで共に過ごせ。
これだけ。彼にしては案外簡単な条件に面食らう。
「それだけで良いんですか?」
「良いんです。たまの休日、ゆっくり休みたいじゃないですかあ。あ、でもできたらベットで寝たいな〜とか」
「……それなら」
と、案内したのは私の寝室………の向かいにある客室。両親が来た時くらいしか使っていないのでほぼ空部屋のようなものである。部屋を見た彼はあからさまにえぇ〜という不満顔をしてこっちを見てるが気にしない。気にしたらダメだ。
「なんですか。ベットもあるから良いじゃないですか」
「いやあせっかくだからお部屋拝見……なんならベット拝借とかできるかなあって期待しちゃうじゃないですかあ……。なんでこんなに都合良く客室?」
「なんでって……元はファミリー向けの物件だし、部屋が余っちゃってるだけです。私の部屋は散らかっているので今はちょっと無理」
これ以上の贅沢はないだろうにどこに文句があるというんだ。世話にはなったがそれとこれとは話が別だ。乙女の領域に入ってくるな。
「それは残念……まぁ次の機会に取っておく事にします。……じゃ、お昼になったら起こしてくださいねえ」
「はあ……」
ドアが閉まり、途端に静寂が訪れる。家で誰かと過ごすのなんて久しぶりだ。それも赤の他人が居座るなんて初めてのことなのでなんだかむず痒い。
でもこれでやっと身綺麗にすることができる。まずはポケモン達をボールから解放しておこう。彼らにも昨夜のできごとは大きなストレスだったかもしれない。
ボールを手のひらに広げるように支えると私の意図を理解したのか思い思いに出てきて羽根を伸ばしたり、日向ぼっこに興じたり、いつもと同じように過ごし始めた。よかった、思っていたより元気そうだ。午後は久しぶりにウォッシュにでも行こうかな。
ホッとしたのも束の間、いつもと変わらないはずの風景のはずだが、なにやら色彩が足りない。1羽出てこないコがいる。
「ミンゴ?」
昨夜は特にダメージを負う事もなかったから至って健康体のはずだ。いつもだったら我が物顔でしゃなりしゃなりとリビングを歩くのだが、今は少し落ち込んでるようにも見える。
「どうしたの? 何か嫌なこと……昨日のことだよね…怖かった?」
やっとボールから出て来てくれた。やはり外傷は無い。昨日のできごとで何か引っかかっているのだろうか。
「……怖かったよね。私もしっかりしたトレーナーじゃなくてごめんなさい……でも、ミンゴやみんなが居たから、心強かったよ」
気持ちが通じたのかはわからないが、クェ…といつもよりも弱々しく鳴いて頭をスリスリと擦り付けると遊んでいる他のポケモン達の下へと歩いて行った。
「カラミンゴくんの元気がない?」
仮にもポケモン研究者なら何かわかるかもしれない。お昼時、カイデンに叩き起こされ、まだ半分寝ているかのような顔付きの彼に愛鳥の様子を話してみた。寝ぼけ眼で頭をガシガシとかきながらカラミンゴの様子を見ている。……ひょっとしていつものその髪型って寝癖?
「ケガとかはないけど、何というか………覇気が無い、というか……食欲も少し落ちてるみたいで…」
「ふむ…どれどれ、カラミンゴく〜ん」
「……」
シカトである。わざとらしく身体の向きを変え、背中を向けて明らかな拒絶をしているのがわかる。
「ナワバリに入られて落ち着かない……ってのも考えられるけど…………今日はこの後は?」
「えっと…天気も良いから南エリアまで行ってみんなを洗おうかと………やめた方がいい?」
「いや、大丈夫です。……一つ心当たりがあるんで」
何故か相談対象のカラミンゴには嫌われているが、やはり専門家だ。かく言うカラミンゴは近づいてきた彼に対して元気良く翼を広げて威嚇している。反抗する気力はあるようだ。
本日は晴天。時刻は少し遅くなってしまったが、お洗濯にもポケモンを洗うのにもちょうど良い気候だ。先日仲間入りしたヤミカラスは初めてのポケモンウォッシュらしく、少し慌てている。かわいい。
同行してきた彼も、一緒に洗おうかなあと繰り出したのは昨日の六匹。なんと言うか……私のポケモン達と比べるとやっぱり圧がある気がする、強さ的な……。アカデミー職員募集要項に手持ちの強さについて明記されてたっけ……?
ポケモンも人間も水浸しになりながら粗方洗い終わると、自然とポケモン同士の交流が始まった。ほのぼのとした平和な光景に頬が緩む。
「……うん。見てください」
「え? ウインディと…カラミンゴ?」
お互いのポケモンがじゃれ合う中、木陰に入り手招きされるがまま彼の指示する方を見ると、普段見ることのない光景が目に入ってきた。カラミンゴがウインディに話しかけるようにコミュニケーションを図っているのだ。二匹にバレないようにジニアの横に並んでしゃがみこむ。
「たぶんですけど、カラミンゴくん、悔しかったんじゃないかなあ」
「悔しい?」
「そう。キミに好意を持っているぼくに対して威嚇しちゃう位に大好きなんですねキミのこと。なのに昨日、大事なキミを守る事ができず、さらにケガまでしてしまった。そこに現れたのがあのウインディです。きっとどうしたら強くなれるか……とか聞いてるんじゃないですかねえ」
「なにそれ……」
それって、凄く……可愛くないか? 人知れずに強くなろうとしてる健気な愛鳥の様子を影から見守る。自然と顔がにやけてしまう。
「可愛いウチのコ……」
「一番手っ取り早いのはトレーナーの下でバトルを積んで強くなるのが良いですかねえ。後は……ひこう・かくとうタイプ専門家に聞いてみるとか」
「そうですね……これで元気になるならできるだけやってみます。………あの、もう一つ気になる事があって」
「なんですかあ?」
「あの逮捕されたトレーナー達のポケモンは……どうなりますか? その、人を傷つけてしまったコは……」
傷もキレイに治ってはいるものの、もしあのレントラーが本気を出せば最悪腕が焼け落ちてたかもしれない。それでも、悪意のある人間の指示で動いていた彼らに罪はないと思いたい。
「………少なくとも、今回のような形で危害を及ぼした個体は本来のトレーナーから離されます。でも安心してください。然るべき機関や強いトレーナーに付いてケアを受けて野生に戻されたり、新しいトレーナーに譲渡されますよ」
「良かった……」
「気になりますか? ……怖くは、ないんですか?」
「……そうですね…………怖かったのは……人間の方。ポケモン達は彼らの指示ありきで動いているってのはわかるんで怖くはないです。だから……私のせいで何かしら処置があるかもしれないって考えたら、あいつらのポケモンと言えどなんか……申し訳なくて」
「……大丈夫です。次は良いトレーナーのもとに行けますよ」
夕陽に照らされる中、隣でとても優しい眼をして言う彼は、研究者でも、先生でもない、唯のポケモン好きの少年のような顔をしていた。不覚にも……実に遺憾であるが、少しどきっとしてしまった。
「…少しときめいちゃいましたあ?」
「……なんでわかるの?」
「わかりますよ。キミのこと、よく見てるから」
少年の顔が男の顔になった。
夕陽の紅が強くなっていくと同時に影も長くなる。周りに人はいない。遊んでいるポケモン達の鳴き声がどこか遠くに聞こえる。二つの影が、近づいていく。
「このままキスしても?」
「…なんで聞くの……?ずるい…」
雰囲気に流されてるのは頭の何処かで理解している。でもなんだか抗いたくない自分も居て、思考が止まってしまう。影が重なるまであと少し…………で、感じた違和感。
「「?」」
虫の知らせとでも言うのだろうか。至近距離にいた彼はそのまま庇うように私を押し倒した。
地面に抱き倒されると同時に、彼の背後にあった木に太刀筋が入り、ばさばさと豪快な音を立てて倒れていく。背中が少し痛むがそれよりも驚きの方が勝って、さっきまでドキドキと脈打つ鼓動が違うものに切り替わってしまった。
「な、なになに!? なんなの!?」
「………はぁ〜…。すみません、これはたぶん…」
起き上がり、倒れた木の対極側を見てみるとそこにはジニアのラランテスが殺気立ちながらジト目で私の事を伺っていた。
「……え、なにこれどういう事?」
「あはは……キミのカラミンゴくんと同じ理由だと思います…」
ラランテスの後方から他のポケモン達も顔を覗かせた。逆に彼女はもうこれ以上はないぞ、とでも言うように横目でこちらを捉えつつ踵を返す。
さっきまでの雰囲気は何処かに飛んで行ってしまった。ポケモンに此処まで大きな感情をぶつけられたのは初めてで、呆気にとられる。カイデン、ワタッコ、ヤミカラスがどうしたどうしたと私の周りを散開しながら飛んでいる。
「なんか、ふふ、あっはっはっは!!」
「〜笑わないで、くださいよ、っ」
「ふ、ふ、そっちこそ、声が、震えて、」
「だって、まさか、木が…ふフフ」
一旦糸が切れると笑いが込み上げてきて仕方がない。二人で一頻り笑い終わった頃には日も沈んでしまっていた。
自宅に戻り洗濯物を畳んでいると、彼のシャツも紛れて一緒に出てきた。キレイに洗われた明らかに私の物とは違うサイズのそれになぜかまた脈が早くなる。その持ち主の彼はリビングでまたカラミンゴと格闘している。
想定外にとても充実した一日になってしまった。終わってしまうのが少し惜しいと思ってしまうくらいには。
「こちらお返しします。色々とお世話になりました。ありがとうございます」
「こちらこそ。今着てるやつはまた洗って返しますねえ」
シャツを渡そうと手を伸ばすと、そのまま腕を捕らえられ、強く引かれて彼の胸の中に飛び込み、抱きしめられた。着ているシャツは柔軟剤の香りがしていたはずなのに、私の知らない匂いがする。
「あ、あの!?」
「……今日は、ありがとうございました。今……家に帰るのが惜しいんです、もうちょっとこのまま………」
どうしよう、カラミンゴが鳴いている。でもまだこのままでいたい気もする。心臓がさっきよりずっとドクドクしている。
どれくらい経ったのかわからないままだったが、抱きしめていた腕の力が抜けて解放されるとすぐにカラミンゴが間に割り込んできた。相変わらず彼を睨みつけている。
「…まだ許してくれません?」
「……あの! その、…ごめんなさい、まだ良くわからなくって、その……気持ちの応え方とか…」
「……」
カラミンゴも彼がただ嫌だからこんなことをしているわけじゃない。たぶん私の気持ちを汲んでくれているのだと思う。ピンクの羽毛が生えた長い首を撫でながら言い訳のように応えた。
「今は、まだ……流されてるだけな気がするから…、それじゃ、貴方に悪いから…だから、」
「いいですよ」
カラミンゴ越しに見た彼はまた笑って言う。
「貴女の答えが出るまで待ってます。それまでぼくで頭いっぱいになるくらい悩んでください。答えが出たらまた言います……待ってますよ」