不敵な科学者

予兆


恥ずかしながら今まで生きてきてまともな恋愛経験がなかったことを改めて実感した。あの夜一緒に飲んだ友人曰く、好意の気配はあったらしいがことごとく気付いていなかったらしい。…と言うのも、これまで私には一心不乱にのめり込めるような趣味や生き甲斐というものもなく、言われるがまま子どもの頃は学業を、就職してからは仕事を趣味のように捉えて素直にその業務だけを見て遂行していくタチだった。その弊害か、学業及び仕事にしか目が行かなくなり色恋に発展せず今に至ってしまったのだ。そう、お付き合いなんて論外、何もかもが未経験である。
そして今所謂その渦中にいるのだろうが、流石に2X歳にまでなると胸がトキメク、だのあの人今日のお昼何食べたんだろ⭐︎だのにはならず(偏見)、ただひたすら目の前の業務をこなす事に専念している。そう、謂わば現実逃避である。

「………あ〜、その……仕事中に悪いんだが…………大丈夫か? なんかここんとこ仕事の勢いが前にも増して激しくなってないか?」
「キハダ先生、ちょうど良かった。昨日提出してもらった有給申請書、ここにもサインお願いします。あとご心配には及びません。いつも通りですよ。あ、サワロ先生! 来週の調理器具修理の業者さんから連絡が。指定日は難しいとのことだったので調整つけて前日に前倒したんですが大丈夫ですよね?」
「ム、それは構わないが……本当に大丈夫かね? 何か…焦っていやしないか?」
「とんでもないです。逆に動いてないとパンクしちゃいそうなので」
「そうかね……? まあ無理はしないように」
「ありがとうございます」

キハダ先生もサワロ先生も大丈夫だと言い張る私にその場を引いてくれた(二人とも根が素直で優しいので押しにも弱い)。しかしどうやら他の職員達から見ても異様に見えているらしく、こういった指摘を受けたのは今に始まったことではない。が、実際これぐらい頭を働かせてないと余計なことで動けなくなりそうというのは本当で。自分のポンコツさ加減が恨めしい。
諸々の事務処理を終えると心配そうな先生方の視線を後に校長室に足を運んだ。突然の呼び出しだったが……大丈夫、少し前倒しで仕事を進めているだけだからなんのお咎めもないはずだ。
そういえば先日の事があってからクラベル校長に会うのは初めてだ。校長もしょっちゅう学校を離れて校外業務や生徒たちの様子を見に外出してることが多いものだから、あんなにお世話になったのにまだお礼もしていなかった。業務はミスしないようにできていると思ってたが、やはりプライベートが関わるとそうも言ってられない。
ドアを開けると校長室にはクラベル校長の他に、理事長……現パルデアポケモンリーグチャンピオンの頂点、所謂トップであるオモダカさんもいた。

「すみません、お話中でした…?」
「いいえ、貴女を呼んだのは他でもない私です」
「理事長が……?」

何も思い当たる節はないが、何かやらかしたっけ? 特に非はない筈なのに内心どこか焦ってしまう。彼女には――それがトップたる所以なのか――独特の圧があると思う。

「悪い話じゃありません。近々この学校のシステムの一部を改修しようと計画してまして、ちょうどその業者とやり取りを行っているのですが……先方から担当を貴女に任せたいと要望があったのです」
「私に……? でも私なんて一介の事務員で、システム業務の根幹には携わってないのですが………」
「はい。……私も一度はそう伝えたのですが、どうしても、と………あとはガラルの時と同じだと伝えてくれ、と」
「!」
「どうしますか? 引き受けてもらえますか?」
「あ、えっと……はい、引き受け、ます」
「あぁ、あと以前言っていたひこうタイプのトレーナー、ちょうど良い人材が居るので今度紹介しますね。では私はこれで……。お二人とも失礼します」

颯爽と去って行く彼女に何も尋ねられず……いや、ガラルの話で思考が遮断されて何も聞けなくなってしまった。恐らく、前職の関係者がいる。前の職場での騒動と理事長の話が頭の中でぐるぐると渦を巻く。ぼーっとそれを感じていると今度はクラベル校長が心配そうに声をかけてくれた。

「……大丈夫ですか?」
「あ、はい……。すみません、ちょっとぼーっとしちゃって」
「………実は私からも一つ急いでお伝えしなければいけない報告がありまして……ただ、あまり良い話ではないのです。気分が悪いようならまた後ほどお話しますが……急を要するのです」

この職場の人はみんな個性的だがとても優しい。今も私の動揺を悟ったのだろう、告げるべきかどうか校長も迷っているようだ。きっといつもなら気を使って後回しにするはずなのに、そんなに急を要するとは……いったいなんの話だろうか。

「いいえ、今でも大丈夫です。……なんですか?」
「実は先日の輩の件……あれは意図的にあなたを狙っていたようなのです。捕まった内の1人が白状しまして、名前も知らない男から……その…、身柄の確保を、依頼されたのだと……」
「…え?」
「今朝にその連絡がありまして……独断で申し訳ないのですが、ジニア先生にはもうお話してあります。先日の件を知っている人物でもあるので」
「え゛」
「なので暫くは独りで行動しないようにしてください。校内は安全かと思いますが、くれぐれも気をつけてください」

どうしよう、ここにきて頭がパンクしそうです。

「で、アイツはどうしたんだ? 今度は抜け殻のようだな」
「レホール先生………それが校長室から戻ってきてからずっとあの調子なの……ちょっと心配よね…」

頭が事態に追いつかないまま、今度は抜け殻のようにデスクに向かってポケ〜っと書類に向かっていると、また先生方の気遣う声が聞こえてきた。あ……そういえば、タイム先生に渡すやつが……

「あ〜タイム先生ぇ…、これ、この…ええと、何の書類だっけ……」
「…っ!きっと疲れが出ちゃったのね、大丈夫、ちょっとお休みすればきっとなんとかなるわ。だから少し休憩しましょう?」

あまりにも頭の悪い私の発言に可哀想な人にでも見えたのだろうか、タイム先生が涙ぐんで抱き締めてくれた。あ〜やっぱりタイム先生は優しいなぁ、とかレホール先生ドン引きしてるなぁとかを頭の片隅で思いながら頭を整頓する。
まずは前職との提携業務、これはまた後日担当に会ってみないとその意図がわからない。
次に、なにかよくわからないが狙われている(?)らしいこと。これも全く身に覚えがないため、せいぜい気をつけて行動するくらいしか対策がない。
そして……それが、彼に知られているということ。だからなんだとも思っているかもしれないが、……面倒な奴だと思われているかもしれない。それは、なんというか………

「Hey! ジニア先生がCalling、呼んでるよ!」
「あヒャいっ!?!?」
「変な声出してどうしたんだわな? 生物室で待ってるって言うてまんがな」
「あ、ありがとうございます、今まいります…」

完全に油断してた。再び心配そうに見守る先生方を後に間抜けな返事をして生物室に向かう。今日は呼び出しが多い。業務を巻いておいて良かった。校長先生にバレたらまた無理をして、と怒られそうだが。

「失礼します、ジニア先生?」
「すみません突然呼び出しちゃって。ちょっと会って欲しいコがいるんです」
「会って欲しいコ?」
「出ておいで」

そう言ってハイパーボールから繰り出されたのは黒い体毛を靡かせたレントラーだ。それも恐らくこの間の攻撃してきた、本人。しかし纏っている雰囲気は以前よりだいぶ落ち着いている。持主の命令がないからなのか、それともこのコの本来の性格なのかはわからない。

「どうして……?」
「ちょっとクラベル先生にワガママ言ってこちらで訓練することができるようにしてもらいましたあ。ほら、言ったじゃないですか。人間を故意に傷つけたポケモンは専門の機関か腕の立つトレーナーに預けられるって。流石に放し飼いは無理ですけど、ぼくの立会いの下ならこうしてある程度の自由は保障できますよお」
「なるほど…良かった……。触っても?」
「どうぞ。でも気をつけてください。今はまだぼくがいるから攻撃こそしませんが、元々警戒心が強いポケモンです。それと……」
「まだなにか?」
「う〜ん、どうやら前みたいな扱いが酷いトレーナーを転々と渡ってきたみたいで……人間に対してあまり良い感情を持っていないようなんです」
「そんな……」

改めて彼女を見てみると、確かに大人しく座っているが目の奥がなんだか暗い。どこか………なにかを諦めているような……この前のカラミンゴよりずっと覇気がないように感じる。撫でてみても素知らぬ顔で目も合わせない。

「……今後このコが本当に信頼できるトレーナーに会えますか?」
「だからこそ、アカデミーはうってつけだと思ったんですよね。ここは色んな人がいるけど、少なくともポケモンに対して悪いことを考える人はいないと自負してます。……もちろん、君もそう。会いに来てください、レントラーに」
「はい…! 良かった〜、大丈夫だって〜!」

思ってたよりも私はこのコが心配だったみたいで、彼女の境遇にも涙ぐんでしまい、たった今注意された事も忘れて彼女の頭を思い切り抱きしめてしまった。反応は薄い。

「………クラベル先生から聞きました。なにか大変なことに巻き込まれてそうですねえ」
「あ〜私もついさっき聞いたばかりでなにがなんだか……。前の職場との提携業務も任命されちゃって…」
「前の職場……ガラルの?」
「そうですけど………」
「……」

珍しく神妙な顔付きでなにか考え込んでいる。なにか思うことでもあるのだろうか。

「なんでも先方からのご指名だそうですよ。なんでですかね」
「………先日の誘拐未遂の話もあります。くれぐれも気を抜かないようにしてください。この前は本当に運が良かった……。絶対に、外で、独りに、ならないでくださいね」
「は、はい…」
「仕事熱心になるのは構いませんが、残業はしないようにすること」
「はい」
「そして帰りはぼくと一緒に帰ること」
「はい………………はい?」

今なんて言った? 聞き返すように彼を見ると先程とは打って変わって、言質は取ったぞと言わんばかりにニッコリと笑って続けた。

「じゃあ今日は仕事が終わり次第、生物室に来てくださいねえ。あ、軽く荷物も纏めるんで少しゆっくりで良いですよお」
「え、いや、荷物? え? どういうこと?」
「部屋、余ってるんでしょう?」
「は? 部屋? 何処の?」
「君の家」

………私の家に押しかけるつもりか!!!!

「い、いやいやいや、なんでそんな話が飛ぶんです!? だいたいそんな、仮にも女性の家にですね、」
「女性だからこそですよ。ひょっとしたら相手方に住所がバレているかもしれない。更に、一人暮らしだということも知られていたら?」
「それは、その……ポケモン達と…」
「またひこう弱点の、そのレントラー並の強さの個体を向こうが所持していたら?」
「ゔ……」

痛いところを突く。あれからカラミンゴだけでなく他の手持ち達も積極的に育成はしてるものの、いまいち手応えを感じない。そもそもワタッコあたりは戦闘自体を好んでないらしく、ヨルノズクの後ろに控えていたりすることが多い。

「あ、あとコルサさんからの了承も得てるのでそこのところもバッチリです」
(こいつ、いつの間に兄を懐柔したんだ…?!)

私がなにか上手い逃れ方を探してる合間にも、彼は更に畳み掛けるように、兄のサイン入りの誓約書のようなものまで出してきた(そんなモノまで一体いつ用意したんだ…)。ここまで堅められていると突破する術は無い。膝から崩れ落ち、床に手をつく。今までも口で勝った試しがないのに、これを覆す余力は私にはない……。隣のレントラーはなにこの人間…とでも言うように若干引いた目をしている。
完敗である。
膝をつく私の目線に合わせるかのように彼もしゃがんで勝利を確信した笑顔を作る。……余裕の笑顔に若干腹が立つ。

「うん。納得してくれましたねえ。もちろんそのレントラーも同行しますんで、仲良くなってくださあい」
「いや、納得なんて、全く、一ミリもしていない…」
「ぼくは楽しみですよお? 少し早足になったけど、同棲するみたいで」
「ど、どうせ!?」

確かに間違ってはいないのかもしれないが、ほぼ一方的だし、そもそも恋人とかが始めるものでは……と、ここまで考えて再び思考が停止した。顔に血が昇って爆発しそうになる……こっちはもう許容オーバーだ。彼はカジッチュみたいに真っ赤ですねえ、なんて笑ってる。

「……少なくとも意識はしてもらえてるみたいで安心しました」
「う…うるさい、まだ心の準備……というか気持ちの整頓ができてないのに……」
「それは一緒に過ごしながらでもできますよお。キミのポケモン達とも仲良くなりたいし、こちらとしては願ったり叶ったりです」
「だからって………ああ、もう……いいですか! 問題が解決するまでですからね!」
「じゃあそれまでに陥落させるようにがんばりまあす」
「と、とにかく! それまでヤラシイ事とかもなしですから!! わかりましたね!?」

それは残念ですとかほざいてるがこっちは精神的に死活問題だ。実際のところ何段くらい階段を飛び越えているのだろう。それとも最近の……その、恋人たち…の傾向が同棲期間を経ての交際関係成立……なのか? 私の考え方が古いだけ?
再び整理がつかない頭を落ち着かせるため、隣で大人しく座るレントラーに顔を埋めた。やはり特に反応は無かったが、この子が一緒ならきっと気も紛れる……気がする。まずは家でお留守番している彼らにどう説明しようかと頭を悩ませた。