不敵な科学者

幕間~あの娘のお兄さん~


「……完成だ」

朝日が差し込むアトリエで、たった今産声をあげたばかりの作品を前に頷く。
今日は幸先が良い。まだ少し早い気もするが、この気持ちが消えてしまう前にジムへと行こうか。ウソッキーやオリーヴァたちが徹夜続きのワタシを心配そうに見ているが、何も心配することは無い。ホウエン地方展示会に向けた作品造りに今までずっと缶詰だったのだから外に出るのはむしろ健康的な方だろう。
一歩玄関から外界に行くとそこには色とりどりの花々が景観に溶け込む美しい街並みが広がっている。パルデアの青い空はこのボウルタウンも覆いキマワリの像の黄色とコントラストを持たせる。シンボルの風車も小気味よく回っている。
ジムの扉を潜りエレベーターを登ってリーダー専用の執務室に行き、今日の業務が記載されている紙面を放って窓の外を眺めた。こんなに清々しい日に黙って業務なんてしていられるものか!
デスクに背を向け未だ醒めぬ余韻に浸っていると事務員から声がかかる。まだジムも稼働していない時間帯なのに忌々しい。何やらワタシに直接面通りしたいという礼儀知らずの愚か者がいるようだ。
……いや、逆に面白い。
挑戦者でもなく、リーグ関係者でもない。つまりジムリーダー業務とは無関係の人物。ならば考えられるのは芸術家《アーティスト》の方の関係者か……いや、それなら尚更こんな無礼を働くような輩はいない。ワタシの機嫌を損ねれば、たちまち奴らが欲しがる作品を作らなくなるのは周知のはずだ。
残るは……プライベートか。とは言え思い当たることと言えば…………ああ、もしかしてあの男か?
ワタシを兄だと慕う幼い時の妹の姿と同時に胡散臭い笑顔を浮かべた六角眼鏡の男が頭をよぎる。人付き合いが良い方ではないワタシの後をついて回る怖いもの知らずの小娘は、どうやら面倒な男に目をつけられたらしい。

「今日は朝早くからありがとうございます。ちょっと妹さんの事でお話がありまして……」

やはり以前妹の部屋でかち合った青二才だった。今日は何が目的なのかスーツを着ている。

「フン……キサマの運の良さに感謝することだな。今のワタシはとても気分が良い」
「それは良かったです」

応接用のソファに腰をかけると相手にも座るように促す。訪問時間については一言物申したいが、ある程度の常識は弁えているようだ。
スタッフが用意してくれた紅茶を口に含むと上質な香りが口から鼻へと抜けていく。妹のガラル土産の茶葉は毎回センスが良い。さすがワタシの妹だ。

「この紅茶…」
「ほう……わかるか。そうだ、あいつがワタシに、と言って寄越して来たものだ。あいつが、ワタシに、な」
「……ええ。コルサさんのお話はよく伺っております。とても仲良しさんで、なんだか聞いててぼくも幸せになります」

こちらの挑発めいた言葉にものともせず笑顔で受け流す。立ち振る舞いにも隙がない。

「この前もコルサさんに教わったのだという絵を見せてもらいました。ぼくは芸術については素人なんですが、彼女が楽しんで描いているのはすごくよく伝わってきて……きっと先生が良かったんですね」
「……御託はいい。それで要件はなんだ?」

ティーカップを置いたワタシを懐柔しようと余念が無い目の前の男を見据えると、執務室に緊張が走った。
それまでニコニコと話していた男も急に真面目くさった顔付きになる。

「……実は先日の暴漢未遂の件、あれは最初から彼女を狙っての犯行だったと報告を受けました」
「……なんだと?」
「おそらく御家族には既に連絡は行ってると思います。今日にも彼女のご両親からコルサさんにも連絡が来るかと…。……パルデアに戻ってから今までに何か彼女の周りで不振な連中を見たりしたことは?」
「……ないな。ガラルから戻ってきてからはワタシも目を光らせている。そこは間違いない」

頭の中でさっき放り投げた紙キレに記載された業務の一部を反芻する。その中には半月後のホウエン地方で行われる展示会についてのミーティングがあったはずだ。………非常事態ならば作品だけ送ってワタシはこの場《パルデア》に留まるべきか……。

「……ホウエン地方へ行かれるんですよね?」
「ム……確かにそうだが、ワタシは残るぞ! 妹の危機なら尚更黙ってはいられないだろうが!」
「そこで御提案なのですが!!」

どうやら本題はここかららしい。

「今までの生活を変えずに、誰か頼れる……彼女の身を守れるような人物を、新たにそばに置いておくのはいかがでしょう?」
「……話を聞こうか」

妹を狙う人物が誰なのか、動機もなにも見当がつかない今、事態がいつまで続くことになるのかわからない。妹の性格を鑑みて、ワタシが自分の仕事を放っておいてまで保護し続けるのはきっと嫌がって抵抗するだろう。

「――だからキサマがワタシの代わりに、四六時中そばに着いていると?」
「ええ、そうです。何より女性の一人暮らしだと相手に知られていたらそれこそ危ないと思うんです。なのでぼくが彼女の近くにいれば、職場も同じですから通勤時も一緒で安心です。もちろん、実力的にも申し分ないと思います」
「……なるほど。今日はそのためにこんな朝っぱらからボウルジムまで来たというわけか」

再び胡散臭い笑顔に戻った男はその通りです、と言って頷いた。
妹の家で遭遇した時から薄々気付いてはいたが、どうやらこの青二才はあいつに好意があるらしい。
妹ももういい歳だ。むしろ男っ気がなさ過ぎて心配していたくらいなのでそれは大いに結構なことと言える。だが一方的な好意を示している男といきなり同居するというのは、やはり身内としては不安である。

「その同居案は妹も合意しているのか? まずはそこからだろう。少なくともワタシはいつ牙を剥くかわからないルガルガンをあいつの元に行かせるような愚行はやらんぞ」
「ええ。もちろんそのお気持ちも充分理解しているつもりです。……だからこそ彼女よりも先にコルサさん、貴方の元に来たのです」
「……というと?」
「この期間中は決して彼女に手を出しません。その意思を示すために、まずはこちらを伺いました。なんなら書面にして保管していただいても結構です」
「……」
「最初に示せる誠意はまずはこれくらいかと思いまして……もちろん事態が落ち着いたらまた口説きにかかりたいと思っています」

この頃はワタシが庇護するのもあいつは嫌がるようになった。もしかしたらワタシの手を離れる良い機会なのかもしれない。
あいつが幼い頃の記憶が走馬灯のように頭を駆け巡る。よたよたと歩く幼子を鬱陶しさから跳ね除けていた頃、どんなにつらく当たってもおにいちゃんすごいねぇ、とニコニコとワタシの作品を褒めてくれた。ワタシの作品の一番のファンでいてくれたあの娘も、今や立派な女性になったのか……。
ハッさんほどではないが、ワタシもつい感傷的になってしまった。こんな体たらくをよりにもよってこの青二才に見られたくはないので、ソファから立ち上がり窓辺で外を見る振りをして滲む涙を隠すように目頭を抑える。

「……っ、わかった。条件を呑もう」
「本当ですか!?」
「但し!! 事態が解決するまで、先に手を出したりなんてしてみろ。ドレディアのはかいこうせんが何処でもキサマを捕捉するからな!!!!」

笑顔を浮かべる青二才に指を差して忠告するが、なんとなくだがこの男は妹を落とすだろうと予感めいたものを感じた。この話題の当人の妹はまだ受け入れるのは容易ではないだろうが、それも時間の問題だろう。昔から押しに弱いところもあった。
何にせよ、まずはこの男の動向を信じてみよう。いい加減ワタシも妹離れしなくてはいけない。彼女も立派なレディになったのだから。
普段あまり使わないデスクに座り、ワタシのサインも施した即席の同居許可証を書くとニコニコ顔の青二才にそれを突き出す。

「受け取れ。これがあればあいつも黙るだろう」
「ありがとうございます。必ず守って「その前に、キサマも誓え。事態が解決して、妹からも了承を得るまでは決して、絶っ対に、手を出すんじゃないぞ」
「……なんかさっきよりも期限延びてません?」
「わ《・》か《・》っ《・》た《・》な《・》?」

半ば強迫するように一文字一文字区切るように言って凄んでみたが、あまりこの男には通じなさそうだ。おそらくこの青二才はワタシが妹の兄であるから、ただそれがあるためだけにハイと言うことを聞いている。なんとも忌々しい男だ。

「じゃあぼくもこちらをお渡ししておきます。その旨を記載した同意書です。ぼくからは手を出しません」
「フン……準備が良いことだな。…………ワタシもホウエン遠征が落ち着き次第顔を出す。それまではくれぐれも……妹を、頼む」

大事にしてきたワタシの宝物だ。例えワタシの手を離れても、幸せに笑っていて欲しい。

「任せてください、お義兄《にい》さん」
「誰がお義兄さんだ!!!!」

前言撤回。まだまだあいつを手放すことはできない!!