不敵な科学者

再会と遭遇


「あなたは……コルさんの!!」

明日から新しい職場での仕事が始まる。ひと月近く社会からはみ出てフラフラしていた反動か、少し緊張しているのがわかる。なんだかソワソワして家でも落ち着かなかったので、散歩がてらテーブルシティを巡っていた。
アカデミー職員は生徒と同じように寮を使う事もできるそうだが、かつて両親と利用してたアパートメントに空き部屋があったのでそこを利用することにした。一人暮らしには広すぎるくらいかもしれない(実際部屋も余ってる)が、前職の蓄えもまだ残っているし、何より何年か住んだことのある空間は使い勝手が良い。
そのアパートメントから程近いカフェで一息ついてると聞き覚えのあるような、無いような、少し懐かしい声が私を呼んだ。

「お久しぶりです、ハッサクです。覚えていますですか?」
「ああ…! コルサ兄さんの友達の! お久しぶりです」
「大きくなりましたね! 会った時はあんなに小さかったのに」

緑色の特徴的なデザインの上着を着た、何処か貫禄を感じるこの人は、昔私が幼少の頃…歳の離れた従兄弟の後をついてまわっていた頃に一度だけ会ったことがある。
兄さんと同じように、私の描いた落書きのような作品を、子ども扱いせず大人と同じように評価してくれた、とても良い人だ。
今日は世間的にも休日……テラス席を隔てた道を行き交う人の数は多い。このテーブルシティなら知り合いに会う確率も高くなるだろう。コーヒーのお代わりとハッサクさんの追加の注文をお願いすると彼も席についた。

「コルさんからアカデミーに就職したのだと聞いて、ゆっくりお話がしたいと思っていたのですよ! 実は小生もそのアカデミーで美術の授業を受け持つことになりまして、晴れて同僚という訳です」
「そうだったんですか! 近くに頼れる人がいてなんだか心強いです。明日からなのになんか緊張しちゃってて……」
「新しい環境は誰でも緊張するものですよ。なんでも職員はほぼ一新しているそうなので、先輩後輩も何も無い。みんな同じ状態ですよ。若いあなたくらい歳の先生も多いそうです」
「若い、先生…」

新しい環境もそうだが、この不必要に緊張感を高めている要因はもう一つある。あの、忘れられない一夜の出来事の当事者、ジニアだ。彼ももうテーブルシティに居るのだろう。少し調べてみると彼が言っていたコレクレーの発見の他、図鑑アプリの開発等も手掛けており界隈では名の知れた人物であることが判明した。
ハッサクさんもパルデア地方リーグで四天王を担っている。アカデミーの職員一新………ひょっとして本当にその道のプロばかり選出してるんじゃないのだろうか。

「……やっぱりまだ不安ですか?」
「あ、…いえ! こちらに越して来てからは大丈夫です。実害はそうそう無かったですし……」
「あなたがそう言うなら止めませんが……少しでも気にかかる事があったらすぐにコルさんでも、もちろん小生にでも良いから言ってください。不審な輩がいたら”りゅうのいぶき”で焼き尽くしてみせましょう!」
「ありがとうございます。でも”りゅうのいぶき”なんて本当にやめてください(実際にやりかねないから怖いんだよ)」
「そうですか? これでも四天王を担う一角、威力には自身がありますが……」

そういう問題じゃない。
恐らくガラルでの話もコルサ経由で聞いたのだろう。彼らから大事にされてるのはひしひしと感じるし、それについては大変感謝しているが……随所で極端である。コルサも大概だがハッサクさんもその例に漏れない。
元来世話好き……というか懐がパルデアの大穴の様に深いお人なのかもしれない。今の兄が居るのもこの人のお陰だ。
当時の面影も感じない……挑戦者が現れる毎に風車から飛び降りる兄を思いコーヒーを口に運ぶ。

「そうそう、ジニア先生からもあなたの話を聞きましたよ。大変でしたね」
「んぅグっ!?!?」
「大丈夫ですか!?」

突如あの男の名前が出てきて思い切りむせてしまった。鼻が痛い。そうか、同じアカデミーの先生なら面識があってもおかしくないのか……。

「い、いや、大丈夫ですよ……」
「鼻からコーヒーが出ていますですよ」
「うぅ、……因みに何を、聞いたんですか…?」
「ええと、小生とコルさんが知り合いだと知って、先日一晩洞窟で看病された経緯を、聞きました……。とても、…っ、とても、立派な事を゛、じま゛じだね゛〜〜!!」

あ、ダメだ爆発してしまった。
そう言えば出会った頃も、できあがった私の落書きを見ては泣き、お菓子をくれたお礼を言われては泣き、挙句ハッサクさ〜んと駆け寄っただけで泣いてたっけ。
ここまで来るともう親みたいな心境なのだろうか。

「ハッサクさん、落ち着いて。はいコーヒー飲んで」
「ううぅ、…失礼しました……。いやあ、あの小さかった女の子が、こんなに…こんなに、素敵な女性になってる事に、改めて感動してしまいまして……。ジニア先生から聞いた時もついつい感情が昂ってしまいましたですよ、お恥ずかしい」
「そうですか」

この分なら妙な事は伝わって無さそうだな。コルサ《あの兄》なら勘繰ってしまっていたかもしれないが……。ハッサクさんが感情爆発型で良かった。そんなに深くは考えていないだろう。

「ああ、噂をすればジニア先生ですよ! おーい先生、こちらです!」
「え゛!? いや、呼ばなくてもいいで「どおもどおも、こんにちは〜。お二人揃って奇遇ですねえ、ぼくも同席良いですかあ?」
「もちろんですよ! どうぞこちらに!」
「す…」

テラス席なんかにするんじゃなかった。
固まる私を他所に二人は明日から始まる授業の進捗について、会話に花が咲いている。ここは諦めて席に着くしかないか………。

「それはそれは、授業準備お疲れ様でしたですよ。小生も後は明日アカデミーに向かうだけになりました」
「ぼくもちょうど目処がついたんで、息抜きにコーヒーでも飲みに行こうと思ってたらこちらに行き着いたんです。いやあ、お二人に会えるなんて本当運が良いなあ。キミも元気にしてましたあ?」
「はあ、まあ……」

ヨレヨレの服にボサボサ頭は以前と変わりない。強いて違う箇所を挙げるとすれば、今日はポケットがいっぱいになった白衣を纏っているところか。白衣を着ていると確かに博士っぽい。

「しかし事務員まで新任になるとは、一体何があったんでしょうな。引き継ぎも大変でしょうに」
「……それが、その引継ぎでアカデミーに寄った時に見た資料、全く問題が無かったんですよね。何かあったから人員交代になったはずなのに」
「あ〜クラベルさんも珍しくボヤいてましたあ。これじゃあ生徒の動向がわからないって。あの人も人が良いから突っ走らなきゃ良いんですけど……」

校長レベルでも情報が無いのには驚いた。ハッサクさんが言っていた通り、職員間に先輩後輩なんて壁は本当に無さそうだ。今度は円滑な関係を築いていけたら良いんだが……。ふと前職での騒動が頭をよぎり、心に穴が空いた気持ちになる。だからなのか、ハッサクさんの言葉に反応が遅れてしまった。

「おっと、これからトップとの約束があるので失礼しますですよ。ジニア先生、もし時間があれば彼女を家まで送ってもらってもよろしいですか?」
「え!? いやお構いなく! 私は大丈夫ですよ!!」
「しかし小生は心配なのですよ。コルさんにもお願いされた手前、本来なら小生自身で行くべきなのですが時間が経つのも忘れて話し込んでしまいました。いやはや申し訳ない」
「いえいえ! 本当にだいじょ「もちろん、送っていきますよお」
「ありがとうございます! ではお二方、また学校でお会いしましょう!」
「はあい、また明日〜」
「ちょ、まってえぇ…」

ハッサクさんは必死に縋る私の目線に気付きもせず、最後にとっておきの爆弾を投下して、やれることはやった! と晴々とした顔で去って行った。
何故かわからないが冷や汗が出てきた。何とかしてこの場を……二人きりの状況を切り抜けなければいけない。

「じゃあぼくらも行きますかあ」
「………あぁ〜、私、まだ買い物が済んでなかったので、ちょっと寄ってから帰りますね! 今日! 今! 買いに行かないと、お店閉まっちゃうんで!!」

じゃっ! と足早に立ち去ろうとするも、遅かった。彼は先程までと変わらぬニコニコ顔でしっかりと私のカバンの取手を掴み微動だにしない。

「ぼくも行きます」
「いや、あの、ちょ」
「行きます」
「…はい」

いやいや、押し負けてどうする私!!!! 何で横並びで歩いているの!? 夕暮れのテーブルシティの大通り、警戒心がメーターを振り切っている私に対して彼はニコニコの笑顔になっている。

「今日はポケモンくんたちはお留守番してるんですねえ。またあのコ達とも会えると思ってたんだけど」
「すぐ帰るつもりだったんで……(貴方に会う事を知ってたら連れてきてたよ!!)…あ〜……、ウインディは元気? あの時お礼言えなかったから」

あのモフモフポカポカの身体が無ければ私も風邪をひいていたかもしれない。それにあの時のカラミンゴや私の態度を見て機嫌を損ねてしまってたら申し訳ない。私の言う事にも素直に従ってくれる、主人思いの賢いコだった。
すると彼は一瞬ポカンとしてまたニコニコ顔に戻った。

「フフ、元気ですよお。ぼくも今日は連れてきてないから今は会えないけど、帰ったら伝えときますねえ」
「……よろしく」
「良かったあ。普通に会話もしてくれないかと思ってましたあ」
「え?」
「あの時はちょっと熱に浮かされてたのもあって、少し失礼な事をしてしまったなあと思って」
「うん」
「いきなりは良くないなあ、と」
「はあ」
「なので外堀から埋める事にしたのでよろしくお願いしますねえ」
「は?」

外堀……? 外堀とは何の事だ?
クエスチョンマークで頭がいっぱいになった私を見て、彼はまたにこやかに、それで何処の店に行くんですか?と質問を投げかけた。

サンドイッチを作るのに、お気に入りのパン屋さんがある。家から歩いて五分の場所だ。明日からお昼のサンドイッチもこのパン屋さんのパンで作るんだ。なんてウキウキしながら新生活を過ごしていたのに、この聖域に入り込んできた輩がいる。

「どれも美味しそうですねえ。そうそう、挟む具材によってはポケモンの能力値を上げることができるんですよ」
「そうですか……」

街中を歩いていて気付いたのだが、やたら女性の目を引いているらしい。……確かに良く見ると顔は良い部類だ。悔しいけども。まあその他のダメ要素(主に服装)が中和しているのだが。
隣でパンを吟味しているその横顔を眺める。少し太めの眉は下がり気味で、大きめの眼も相まって一見優しそうだ。睫毛も長く、スッと通った鼻筋に、薄い唇……身なりをもう少し整えたら色んな女性から引く手数多だろう。
学者よろしく、改めてまじまじと見ていたら不意にガッツリ目が合った。

「そんなに見つめられると流石に緊張しちゃうなあ〜」
「っっ!!!! み、見てません!!!!」

コイツ、揶揄ってる!! 顔は良いかもしれないけど性格に難あるぞと陰でチラチラと視線を送る女性にアナウンスしたい。
そうこうしながらサンドイッチ用のバケットを選び、会計を済ませると先に表で待っててくれていた。いや、待たなくても良いんだが。

「あの、ここまでありがとう。もう歩いてすぐだからここまでで大丈夫ですよ」
「え〜すぐ着いちゃうなら玄関先まで行きますよお?」
「いや〜ハハハ(それが嫌だからこう言ってるんだよ!)」
「はぁ……ハッサク先生にお伝えしなきゃ。家まで送り届けてやれませんでした、不甲斐ない男でごめんなさい。ロトム、今のメッセージを「いやいやいや! ハッサクさんもたぶん納得してくださる距離ですし!」
「ふ〜ん……?」
「な、なんでスカ?」

何かを確認するかの様に目を細めてじっと見られる。だから、圧がすごいんだって……。

「うん。やっぱり行きます。もう少しお茶しましょう」

キミの家で

だーかーらー!! 何で押し負けてるんだ私ぃいいい!!!!??
押しに押されてとうとう我が城にまで攻め入られてしまった…。
重くなった(気がする)玄関扉を開けると可愛い相棒達が出迎え待機をしておかえりー! と言わんばかりに駆け寄ってきてくれる。

「お邪魔しまあす」

と、同時にこの家初の客人にビックリして困惑してしまった。人懐こいカイデンとワタッコは誰? 誰? とジニアの周りをぐるぐる回っているが、カラミンゴは敵意剥き出しでじっと睨みつけている(にらみつける、今は覚えてないはずなんだけどな)。ヨルノズクはどうしたものかと首をクルクルと背後に前にと忙しく回していた。

「アハハ、みなさん個性的でかわいいですねえ」
「ほらみんな、大丈夫だから落ち着いて。お茶したらすぐ帰るから」
「キミこそそんな警戒しなくて良いですよお。一晩共に過ごした仲じゃないですかあ」
「言い方!!!!」

私が案内する間も無く、リビングまで(家主である私に何も言わずに)ずけずけと入って行くと、勝手にソファに腰掛けて寛ぎ始めた。きっともう何を言っても動かなさそうなので、私は取り敢えずのお茶を準備することにした。まあカラミンゴが見張っているし、たぶん独りにさせても大丈夫だろう。

(台拭きの絞り汁でも入れてやろうかな…)
「案外広い部屋にお住まいなんですねえ」
「え!? …あぁ、ひこうポケモンが多いんでどうしてもある程度の広さが欲しいんです。はいどうぞこれ飲んだら帰ってくださいね」
「厳しいなあ」

厳しくさせてるのは誰だ、という言葉を紅茶と一緒に飲み込む。うん、コーヒーも良いけどガラル仕込みで淹れた紅茶はやっぱり美味しい。ホッと一息つくと気付いた視線。自分の膝に頬杖をついた彼に見つめられていた。
少し気不味くなって目を逸らす。こっち見んな。

「ガラルの紅茶ですか? 美味しいなあ。……やっぱり向こうの方が恋しくなったりとかします?」
「どうだろう、あんまり深く考えずに引っ越してきたから……」
「……気になってたんですけど、ガラルで何かあったんですか? ハッサク先生の言い分と言い、なんか引っかかって」
「……」

流石現役の学者……だからだろうか。恐らく執拗に家に寄りたがったのもこの事を聞く為の布石だったのだろう。……まあ、別に隠してた訳でもないし…

「職場の色恋沙汰に巻き込まれたんですよ」
「……え?」
「だから、巻き込まれたの! 御曹司の色恋沙汰に!」

何も難しい話では無い。
ガラルだけでなく世界に轟くマクロコスモスの傘下だった会社には、若くて美人な所謂マドンナとこれまた容姿端麗な、副社長を勤める御曹司がいた。側《はた》からみるとお似合いの二人だったが特別お付き合いをしていた訳ではなく、マドンナ側が熱を入れ揚げてるだけのようで、私は違う世界の話だなと傍観していただけ……の筈だったのだ。
当時その御曹司主導のプロジェクトでミスがあり、その根幹に関わっていた私は何とか問題を最小に留められるように根回しをし大事にはならないように務めた。プロジェクトは無事に成功。御曹司には恩を売ってやったと思っていたが、そこから妙な噂――所謂私が悪者になるような、よくあるやつ――が飛び交い、さらにそれがマドンナ派からの反感を買い、嫌がらせが始まった。
職場だけならまだ我慢できたが、その噂や嫌がらせがプライベートにも侵食してきたのは流石に無理だった。と言っても、ロッカー荒らしやポストに生ゴミ程度のものだったが、やられる方はたまったものではない。スマホロトムの破損と損失はその時の嫌がらせうちの一つだ。
いい加減それらの対処も面倒になってきた頃に、ふと疲労がドッと溢れ出した。何がきっかけだったかも覚えてないが、どこか遠くに…パルデアに帰ろう。そこならもう何も無いだろう。思い立ったその日には辞表を提出していた。

「こんな感じ。情け無い話ですが」
「噂……というのはどんな噂ですか?」
「根も葉もない噂ですよ。私が御曹司に媚売って気に入られたとか、誘惑しただの、とにかくそういう類のやつ。言ったじゃないですか、容姿端麗だって。お金もある、仕事もそこそこできる人がわざわざ私なんか選ばなくても引く手数多あるでしょうに」

彼は神妙な顔で、静かに聞いていた。普段のニコニコ顔も慣れないが、こう、静かに何を考えてるかわからないのもなんだか居心地が悪い(自分の家なのに)。

「ぼくは………ぼくはキミが、パルデアに来てくれて良かったと思ってます」
「そうですか?」
「はい。あとは、そうだなあ……その噂の出どころ、たぶんその御曹司さんじゃないですか?」
「はあ?」
「勝手な想像ではありますが……何でも持ってる人の中には何でもしてもらって当然っていう人がいるんですよねえ。その環境に甘えてた人は自分からは動かずに相手が自ずから来るのを待ってます。……例えば、根も葉もない噂で弱った女性の相談に乗ったりとか」
「え…?」
「本当に押しに弱いですよねえ。だからぼくみたいな男に良い様に振り回されるんですよお」
「な…!?」
「だから、」

いつの間にか近くに来てた彼に両手で顔を挟まれた。しっかりと抑えられて顔が動かせない……眼前の彼の眼を見るしかない。薄く笑って彼は続けた。

「だから気をつけてください。貴方を振り回して良いのは、ぼくだけです」

呆然とする私を他所に、彼はまたニコーっと笑いご馳走さまでしたあ、と去って行った。
残されたのは空のティーカップと、

「…え、ちょっミンゴ!? エアスラッシュはだめって、まっ、ああぁあああ!!!!!?」

激怒したカラミンゴだけだった。